外薗昌也『わたしはあい』(週刊モーニング35号)

手元に本誌が無いので不確かな引用になって申し訳ないけれど、扉ページによれば、恩田陸さん「『PLUTO』以上に斬新な作品かも知れない、現代日本でしか描けない作品」と、月刊現代(いま売ってる9月号をチェックしたが載っていなかった。先月号掲載だったか)『わたしはあい』を取り上げていたそうだけれど。そもそも『PLUTO』自体が斬新とか画期的と持ち上げられるような作品か疑問だが(読むと『ブレードランナー』や『羊たちの沈黙』等からのパッチワークやコラージュが気になるのだけれど、『PLUTO』を過剰に持ち上げている漫画評論家センセイ方はそういう点は指摘しないが、漫画評論家センセイって洋画とか見ていないの?)、『わたしはあい』も扱っているネタは、エロゲー・ギャルゲー方面やマニア系コミック誌で非常に多くある女の子型メイドロボ、美少女アンドロイド話のヴァリエーションでしかない外薗昌也がそんな事は先刻ご承知でやっているのは、主人公にそんなエロゲー・ギャルゲーのライター兼ディレクターを配している事から一目瞭然だ。『わたしはあい』がアキバ系オタク作品と違う意匠を多少でも身につけられているとすれば、プロジェクトX的に地道に自立型AI誕生を追っている事ぐらいで(それでも随分と飛躍があると思うけれど)、正直言えば掲載誌が週刊青年コミック誌ではなく、月刊アフタヌーン少年エース辺りに載っていても全く違和感が無いように思える(逆にいえば、開発ものではないが、『ぼくのマリー』と言う美少女アンドロイド・ラブコメ漫画が週刊ヤングジャンプで以前連載していた)。これまであったこの手の作品との差は、ここまでの物語では、出来合いのメイドロボがイキナリ「おかえりなさいませ、ご主人さま♪」と言ってくれるのと、無垢な状態からそこへ育成していく過程を描くかの差異でしかない、恋愛アドベンチャーゲームと美少女育成ゲームほどの差しかない……って、この辺の感覚はオタク文化側の当事者でないと非常に判り難いだろうけれど(笑)、恩田陸さんは、そこいらを判った上で評価しているのかどうか。
まあ、”あの”『犬神』『エマージング 』の外薗昌也がコレを描いていると言う意味では、十分に画期的ではあるけれどね。